おやすみなさい。歌唄い [2009] 踊ってばかりの国 (踊ってばかりの国 全アルバムレビュー①)

 

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何回かに分けて踊ってばかりの国のアルバムのことについて書きたいと思う。踊ってばかりの国は大好きなバンドの一つだ。アルバムもたくさんあるし、活動期間も長い。だがネットを探してもなかなかアルバムレビューなるものが見つからない。ということで知識も文章力も拙いながら自分で書いてみることにした。ただの単なるレビュー以上のものを目指して書いている。基本はアルバム全体と曲ごとという構成の予定。サウンドより歌詞の話がメインとなる。早速本題に移る。

 

おやすみなさい。歌唄い [2009] 踊ってばかりの国

 

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2009年リリースの1stミニアルバム。彼らがまだ神戸に本拠地を置くときのもの。下津の声は荒削りで毒々しさがある。全体としてはインディーズらしい音のチープさがあるが、演奏は決して軽くなく、曲調が不安定でサイケデリック感が強い。のちの曲と比べても多くの曲はゆったりとしたリズムテンポなのも印象的。またこの後に見受けられるようなアルバムとしてのテーマはないように思われる。

個人的には滝口の揺れるようなギターの音は好きだ。初期の踊ってばかりの国サウンド面はほとんど彼が担っていた。あくまで林はサポート的位置だった。


1.「僕はラジオ

これは下津が高校生の頃に一人で作ったもの。同名の米国映画から名前をとったものだろうか。今っぽくない、流行性から距離を取る歌い手としての自分自身をラジオに見立てる。かつては「ベイエリアからリヴァプールから」「君が知らないメロディー、聞いたことないヒット曲」を届けてくれたラジオ。今や古臭く聞き手にもすぐに飽きられてしまうといった悲観さをみせるも、一方で自分のロックスタイルを貫こうとする踊ってばかりの国の所信表明でもあるような一曲。

余談だが、「電波伝って音に変えるんだぜ」は「原発だって音楽に変えるんだぜ」と歌ってるようにしか聞こえる、というかそう歌っていると思っている。だとしたらそれは忌野清志郎のことを歌っているとしか考えられない。インタビュー上ではそれを否定していたが。さらに余談ではあるが、90年代の日本のヒップホップ界で名を馳せたSHAKKAZOMBIE「虹」におけるOSUMIの「連発(→原発)のトラブルに首突っ込もう」というリリックに近いものを感じる。

 

2.「死ぬな!」

見た目的に「死ね!」という感じの下津だが、そうした印象をもつ私たちへのアンチテーゼ的なものか。「母と子に血縁がない」「人を殺した」など救いのないひとたちへ「誰も死ぬな!」と歌う。「みすぼらしいのは僕だけ」なんだからと。下津はこの後も一貫して「生への肯定」を歌う。自らが聴き手の悲しみや苦しみを引き受けると歌うことも同様。インタビューでは幼い頃に死に近づく経験をしたことが「生への肯定」につながっていると話していた。

 

3.「写陰邪陰」

ボーカルにはラジオ風のエコーがかかり歌詞も混沌とした印象を受ける。真っ赤なりんご、トリケラトプス。その後に立ち現れるのが「遠くの国で死んだ友達 頭だけ晒されて死んだ」、「丘の向こうはきっと明るい」。<遠くの国=紛争の地>、<死んだ友達=戦死した同世代の誰か> を想い歌う。こうした素朴平和主義・反戦を歌うことも踊ってばかりの国(下津)の特徴。のちのアルバムでもまた触れるが、こうしたところでも彼のカリフォルニアンヒッピーからの影響は見てとれる。彼自身、サイケデリックという音だけの影響ではなく精神性そのものにも多大な影響を受けていると公言しているのだ。

 

4.「君が嫌い」

これはバンドマンあるあるというかありきたりな恋色ソングと切り捨てて良いはず。収入などが安定しない男と付き合うと君(恋人)を幸せにすることはできない。だから僕(下津)は綺麗な君(恋人)を嫌いと言って離れていってもらうしかない、わかってくれ的な。
どうでもいいが下津って<僕>という感じではないと思う<俺>。<僕>はどちらかというと小山田壮平とか。 

 

5.「意地悪」

一方角の意味を持たずにグネグネと曲がりながら「意地悪(欲張り)はおやめなさい」という独立したメッセージを取り囲むという構図。歌い方にも特に癖があり、耳に残りやすい。意味不明だし、おそらく大した意味は持っていないその周辺のサイケデリアな歌詞は結果として不思議な魅力を持っている。

 

6.「緑の汽車」

ちょうど下津たちが神戸から東京に移ってくる前の頃なのでそういうこと。つまり緑の汽車で東京へ行ってしまうが決して君を忘れないから泣かないでくれということだろう。「君が嫌い」と同系統。ただ「緑」というのは少し気になる。下津が緑でなにかを暗示しているのか。といのものちに下津は「緑の箱」というワードを歌詞に書いたり、子供の名前に「みどり」と付けたりしている。緑=自然=生命のイメージが連想されるが、もう少し個人的なイメージが重ねられている気がする。

 

7.「四色のパノラマ」

この曲の歌詞について1st「SEBULBA」収録の「悪魔の子供」と類似している。「黒い子供」「白い子供」「青い子供」「赤い子供」(=四色のパノラマ)というなんらかの比喩。単に色んな子供がいるよねということではない。「二人で生きよう」というのは夫婦二人でこの「子」育てを頑張っていこうということか。この曲のみだと判然としない。

 

8.「毛が生えて騒いでいる」

いささか不気味な曲名に「あん、ああん…」という小さく弱まった喘ぐような声。そこから歌いだされ、紡がれるのは下津の悲しい記憶。この曲では明らかに父からの虐待を歌っている。「父さんは気違いか、着ぐるみ着た(=アルコールで人が変わったようになる)」「父さんは臭いから蓋をしよう(=アルコール臭い)」「父さんの暴力は僕の脅威さ」「父さんの頭には僕はいない」「母さんは痛いから僕にすがってる」。アルコール中毒で臭い父は僕(下津)と母に暴力を振るうというのだ。驚くことにジャケットのぼんやりとしたゆるふわ系の着ぐるみの絵は自分に虐待を行う父親だったのだ。さらに「着ぐるみ」は人が変わることの暗喩のみならず「気狂い」ともかけている。そんな中、下津はゴミ箱の中に1人で叫んで(歌って)いたのだ。のちにこの状況をバケツの中とも表現している。「毛が生える」というのはこうした状況下で否応なしに大人として成長していくさまを歌っていると考えるのが妥当そうだ。

ただインタビューでは父から音楽やサーフィンなど多くのカルチャーを教えてもらっていたと話す。さらに近年も下津は父をSNSにあげたりしており、現在の関係は良好なのだろう。4th「Songs」収録の「Hero」もおそらく父のことを歌っている。「酒に溺れた方が君は楽だったんだろう」と、それでも「僕のヒーローだったよ」と歌っている。ちなみに下津が身近な人のことを歌うことは多い。またまた余談だが「もうちょっと…」という歌い方がGEZANの「待夢」をカバーしたときのそれに似ているので聞いてみてほしい。



次回は2ndミニ「グッバイ、ガールフレンド」

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